はじめに
2024年4月9日。空が割れ、大地が地鳴りを上げ、村が沈んだ日。
「Xデー」となったこの日、ニンテンドー3DSのインターネットサービスが終了したことは記憶に新しいだろう。

実はその前からトリプルバトルには死刑宣告が告げられていたことをご存じだろうか。
『サン・ムーンにトリプルバトルが存在しない』
事実上の終了を告げられた日から細々とトリプルバトルを遊んできた者たちをダムの底に沈め切った出来事だった。

一応、トリプルバトル村は各地方でのオフ会で生き残ってはいるものの、人口の大幅減に繋がった未曽有の大事件であったことは間違いないだろう。何故か滅びた後に入村者が増えてもいるが。
トリプルバトル界隈は二度滅びたのである。
ところで、BUMP OF CHIKENの楽曲に「ray」というものがある。
BUMPを代表する曲の一つで、ライブでは開幕に演奏されるのがお決まりになっていたほどである。
記事執筆時点では「超かぐや姫!」が大変話題になっており、この楽曲「ray」も超かぐや姫!のエンドロールに使用されたり、公式MVが作成されたりと何かと話題な曲の一つだ。
私は超かぐや姫!を視聴していないが、アレンジされたrayも大変すばらしいものだったので一度MVを視聴してみてほしい。
このrayという楽曲、メロディはとても明るく前向きな様子を映し出しているのに対し、歌詞の仄暗さ・後ろ向きさで考察がそれなりに有名だったりもする。
その歌詞の内容を話題になっている今日改めて見返したのだが、
これがどこからどう見てもトリプルバトルを描いているのである。
もう一度言う。
これがどこからどう見てもトリプルバトルを描いているのである!
とはいえいきなり事実だけを述べられてもなんのこっちゃと困惑する人もいるだろう。
ここからはrayの歌詞に込められたトリプルバトルへの悲願、恋情にも等しい未練、そして未来を紐解いていくとする。
歌詞考察に入る前に
※この記事にBUMP OF CHIKEN及び藤原基央さん、楽曲「ray」を貶める意図は一切御座いません。
あくまでもジョーク記事としてお楽しみいただけると幸いです。
事実に一切基づかないフィクションです。
本記事の「ray」の歌詞の内容は全てBUM OF CHIKEN公式Youtubeチャンネルの概要欄に記載されているものから引用させていただいています。
また、全ての構成は以下の様に進めていきます。
ここに歌詞の内容のコピペ
ここに引用した歌詞の考察
1番 トリプルバトルの過去と現状を憂う
お別れしたのはもっと 前の事だったような
悲しい光は封じ込めて 踵すり減らしたんだ
トリプルバトルが実質的なサービス終了したのは2024年4月9日であったが、本編シリーズでのトリプルバトルが終了したのは先にも書いた通りサン・ムーンシリーズのことで、その発売日は2016年11月18日である。
ネットワークサービスが終了すると明示的に告げられた「お別れ」よりも、本当はもっと前にお別れしていたような気がする。しかし、その別れは動画配信の活発化やフリーバトルの活性、TwitterやDiscord、そしてオフ会を通じて広まったことにより先延ばしにされてきたのだ、そう確かに突きつけられたことだったと、この歌詞は言っているわけだ。
このサービス終了の告知がされたのは2023年10月4日のことだった。
狭いトリプルバトル界隈だけでなく、様々なオンラインサービスを楽しんでいたユーザー全てが悲しみに包まれていた。
何故悲しい”光”なのだろうか。
それは、ネットワークサービスの終了はニンテンドー公式が出したお触れであり、ニンテンドーがこの先現行機種のサービスを続けていくことや、より未来のゲーム開発に注力していくという意味に他ならない。
ニンテンドーは我々よりも遥かに未来を見据えているだろう。そんな「悲しい光」を、取り残された私たちはそっと胸に封じ込めて、迫りくる閉鎖の時期まで歩みを進めるしかないのだった。
「踵を擦り減らす」というのは、歩くことや前に進むことの比喩としてよく使われる表現だが、此処にも藤原基央の妙が光る。
トリプルバトルが終了してしまう、そんな事実は誰も受け入れたくないものだ。受け入れられない事実をぐっと堪え、飲み込み、重い足取りを前に進めるしかない。立ち止まることは許されていないのだから。
だからこそ、「踵すり減らしたんだ」という歌詞に紐づく。ずっ…ずっ…と、レジギガスのようなすり足で歩く我々を端的に表しているのだろう。
君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している
ここで歌われている「君」とは誰の事だろう。
それは当然、Nintendo 3DS及びポケットモンスター オメガルビー/アルファサファイアの事に他ならない。
君と居た時は確かに見えたトリプルバトルのインターネット対戦。でも、今は見えなくなった。
それは、「君」の本質はインターネット回線のことだったと、語りかけている。
インターネットサービスが終わったとしてもトリプルバトルは終わらない。そう信じていた人に突きつけられた、トリプルバトルの終了。オフ会だけでは足りない、プレイ時間の喪失がその事実を重く、強固なものにしてゆく。
ところで、彗星とはどのようなものか皆は想像できているだろうか。
Wikipediaには次のように書かれている。
彗星(すいせい、英語: comet)は、太陽系小天体のうち、主に氷や固体微粒子でできており、太陽に近づいた際に一時的な大気であるコマや、コマの物質である塵やガス、イオンの尾(テイル)を生じるものを指す。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%97%E6%98%9F
少し分かりづらい概要だが、「ほうき星」と言われた方が分かりやすいだろうか。

要するに彗星とは、そもそも実態を伴うものなのだ。宇宙に存在する星の中で、上記の説明の特徴を持つものが彗星と呼ばれる。
我々の住む地球が惑星と呼ばれるのと同じように、名前のある星の中の括りの一つが彗星だ。
だから、「透明な彗星」とは存在しないもののはずだ。もしかしたらとても目では見えない彗星を指しているのかもしれないが。
なんとも不思議な表現だが、透明な彗星というものに心当たりはないだろうか。
彗星とは宇宙に存在するものである。透明とは、目に見えないもの、比喩としては存在しないもの。
宇宙に関連する、存在しなくなったもの。
そして歌詞にある、「ぼんやりと それだけ探す」。
そう、透明な彗星とは、まさしくトリプルバトルのことである。
我々はトリプルバトルのことを、ただそれだけを、ずっとぼんやりと探し続けている。
ありもしない現実を求めて、探し続けている。
この歌詞を踏まえると、前述で登場した「踵を擦り減らす」意味も少し違って見えるだろう。
上を向き、虚ろな目で、存在しないものを探し続ける姿こそ、まさに踵を擦り減らしながら、ただゆっくりと歩いていると容易に想像できる。
開幕Aメロの時点でこれだけのメッセージが込められているのだ。
しょっちゅう唄を歌ったよ その時だけのメロディーを
寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから
「唄」とはそのままほろびのうたであることは疑いようもないのだが、「その時だけのメロディー」というのが少し引っかかる部分かもしれない。
これはほろびのうたであることと、もう一つ我々の自由突飛なパーティ構築を指している、という考察も出来るのではないだろうか。
トリプルバトルのレーティングが終了してからというもの、あくまで勝ちに拘らないパーティというものが非常に増えた。
楽しむことを前提としていたり、一発ネタを披露したり、名前に拘ったり、あるいはその中であくまでも勝ちに拘ったり。十人十色、その時だけのパーティを皆が楽しんでいた。
これを「メロディー」と、そう呼んでいるのだろう。それぞれが違う音色を響かせる、まさにトリプルバトルらしい歌詞だ。
そうして、別れを惜しみながら、皆それぞれの方法でトリプルバトルを髄まで楽しんだだろう。
全て終わっても寂しくなかった。それは、存在しているその時に寂しい気持ちを存分に味わったから。
今でも惜しむ気持ちはあれど、寂しくなんかない。そんな前を向く気持ちを歌っている。
いつまでどこまでなんて 正常か異常かなんて
考える暇も無い程 歩くのは大変だ
トリプルバトルはいつまで続くだろう、どこまで続くのだろう?我々は今どこへ向かっているのだろう?
この歩みは正常なのだろうか、異常なのだろうか。
ストレートに表現された歌詞で、サビの掴みを取る。トリプルバトルを今も嗜む者たちの永遠の悩みの一つ。
そんなことを考える暇が無いほど、「歩く」ことが大変だと言う。
こういった歌詞を書く時、「走る」やその辺りの表現を使いがちだとは思うのだが、この藤原基央、「歩く」ことを大変だと表現している。
Aメロの歌詞から続いて、この曲ではひたすらに「歩く」ことの大変さを説く。それは、生きることの表現なのだろうとこの曲を通して思わさせられる。
歩いている時こそ思考がクリアになって、考え事をする暇が生まれるものだと、普段の感覚では思う。
しかし、こと「生きる」こと――つまりはトリプルバトルを日常的に行うこととなると話がまるっと変わる。
もう来ない日常を望み続け、ありもしない未来に向かって歩むこと。周りから見たら異常性の塊であっても、正常を保つために必要なこと。
そんなくだらないことを考えている暇もないほど、トリプルバトルを今生きる我々が嗜むことは大変だと、そう語っている。
楽しい方がずっといいよ ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
これまでの微妙に仄暗い、後ろ向きな歌詞から一転して「楽しい方が良い」という歌詞が登場する、一番のラストフレーズ。
楽しい方が良いに決まっているという当たり前の事の続きに「ごまかして笑っていく」とある。
トリプルバトルが出来る日の方が楽しい。そうに決まっている。でもそんな日常はもう来なくて、オフ会という限られた場所にしか私たちの遊び場所、楽しい場所はない。そんな現実を「ごまかして」楽しい日だと笑う。
今楽しんでいることは幻想だ、というある種の諦めの歌詞である。
「あの痛み」とは当然、トリプルバトルが終わったことに他ならない。
この曲では一貫してトリプルバトルについて歌い続けていることは明白である。
このrayではAメロで過去のことを歌い、徐々に時間軸が現在へ追いついていくような展開を取る。
トリプルバトルが終了した今でも愛され続けているコンテンツであることを示しているのだろう。
一番の歌詞ではひたすらに後ろ向きで、別れを惜しむ歌詞が続く。
トリプルバトルへの鎮魂歌という側面もあるのだろう。
2番 時が経ち、今になって思い出す過去
理想で作った道を 現実が塗り替えていくよ
思い出はその軌跡の上で 輝きになって残っている
ここから二番の歌詞に入る。
「理想」「現実」は主に5世代で使われる「理想」「真実」の二つの対義語を少しアレンジしたものだろうか。
理想で作った道とはこれからもまだトリプルバトルが発展していき、いつか本編シリーズでもう一度遊べる日が来るのだろうという、我々の「理想」を端的に歌ったものだ。
しかし、その理想も「現実」が無常に塗り替えていく。
そう、現実はトリプルの終了、実装されない最新作、そしてネットワークサービスの終了。
この「現実」……いや、「真実」それこそが塗り替えられないものであり、ゲームフリークはその真実を残酷なまでに突きつける。
それでも、トリプルバトルを楽しんだ思い出は変わらない。
私たちがゆっくりと歩んできた今日まで、トリプルバトルが遊ばれたということは思い出のまま残り続ける。
ここでも変わらず、トリプルバトルの過去を歌っているのだ。
お別れしたのは何で 何のためだったんだろうな
悲しい光が僕の影を 前に長く伸ばしている
最早今となっては、何でお別れしたのかも分からなくなりつつある現状を歌っている。
実際に起こったのはニンテンドーからのお触れによる強制的な引きはがしだったのだが、そのことも区別が出来なくなるほどの月日が経ったことを書いているのだと推測できる。
今となっては憂う事しか出来ない。
悲しい光は先述の通り、未だにトリプルバトルの幻影を求め続ける私たちを後ろから照らし続けている。
「前」というのは言うまでもなく未来を指す言葉で、後ろから光が当てられてそのまま前に伸びた影を見つめる姿を表している。比喩としては分かりやすい方だろう。
敢えて分かりやすい表現を使っていることで、トリプルバトルへの喪失感を色濃く示しているのだ。
時々熱が出るよ 時間がある時眠るよ
夢だと解るその中で 君と会ってからまた行こう
二番の歌詞はストレートだったり、ある種当たり前な表現が続く。
一番での別れを経て、考えがより鮮明になっていることを伝えようとしているのだろうか。
「時々熱が出て、時間がある時眠るよ」
日常生活を送っていると必ずこういったことが起こる、一つ一つがトリプルバトルと関係のない、ただの風景の一つ。
BUMPの他の楽曲に「ギルド」というものがある。それもまた、日常を描く歌詞が登場する。
当たり前の日常を過ごすことを、藤原基央はこれでもかというほどに歌い上げる。
トリプルバトルがないこの日々も日常なのだと語りかけるように歌う。
それでも、そんな日常の中でもトリプルバトルに出会える場所がある。
それが夢の中だと言う。トリプルバトルはもうないけれど、それでもトリプルバトルと出会える場所。そこは現実には存在しない場所だから、夢だと解る。
「君」の存在は実はトリプルバトルではなくニンテンドー3DSネットワークサービスだったことは先にも説明した通りだろう。これはオフライン上で活発に活動しているトリプルバトルの話ではない。
もしかしたら、藤原基央はその立場上トリプルバトルのオフライン対戦会に参加できないことをこの時点で嘆いていたのかもしれない。
閑話休題、そんな夢でしかあり得ない場所で君と会ってから、「また」歩みを進めよう。
トリプルバトルはもうないけれど、思い出はまだ夢に見るほどに鮮烈に残っているのだから。
晴天とはほど遠い 終わらない暗闇にも
星を思い浮かべたなら すぐ銀河の中だ
2番のサビは、ここまでと打って変わって聞きなれない比喩表現が登場する。
「晴天」と対応する言葉として「暗闇」を選択しているのだ。曇天などではなく、敢えての暗闇である。
余談だが、夜であっても晴天という言葉は使えるので対比としては本来望ましいものではない。
晴天とはなんのことだろうか。晴れやかな気持ち、明るい景色。最早語るに及ばず、これまで数えきれないほどに登場したトリプルバトルの対戦風景のことだろう。
トリプルバトルの対戦風景は天井が青みがかっており、まさしく晴天と表現するに相応しい。
そんな晴天とは程遠い暗闇とは、まさしく今この状況のことだ。
サービスが終了し、公式からの供給が途絶えた今はまさしく「終わらない暗闇」だろう。
星を思い浮かべたなら というのはBメロの「夢だと解る」に掛かっているのだと推察できる。
夢の中は自由気ままで、文字通り夢が叶う場所で、広大なイメージをそのまま書き起こしているのだろう。そうして銀河の中、あるいは夢の中に飛び込むというある種の現実逃避を歌っている。
このray、終始「辛い現実から目を背けている」ことを歌詞として歌い上げているのだ。
また、トリプルバトルが最も活発だった作品がオメガルビー/アルファサファイアであることも見逃せない。
このゲームでは最後の展開として宇宙に飛び立つシーンがあるのだが、それを銀河の中と引っ掛けているのだろう。
BUMPがよくやるダブルミーニングの一つだ。いや、銀河が夢だと解釈できるのならば、それトリプルミーミングじゃね?トリプルミーミングだよ!トリプルってことはさ、それ俺らにぴったりじゃん。
ところで、この歌詞はそれだけに留まらないと思っている。
晴天とはポケモンにおいてどのような光景が想像されるだろうか?
そう、当然「ひざしがつよい」状態だろう。ポケモン対戦には天候の概念が存在している。つまり、藤原基央はメガリザードンY使いなのだ。
対する終わらない暗闇とはなんのことだろうか。暗闇というのが少しポケモン的には引っかかりが薄いところかもしれないが、我々トリプルバトル勢には一つ心当たりがある。暗闇を構成する技、そう、

ダークホール。
終わらない催眠の辛さ、トリプル勢なら誰もが経験したことだろう。
TNモトオもこの辛さに直面してきたに違いない。リザドランを使ってエルテラドーに何度も敗北した姿には涙を禁じ得ない。
あまり泣かなくなっても 靴を新しくしても
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
2番最後のサビでは、時間の経過による成長、或いは老化を端的に表している。
泣かなくなった→以前は泣いた日もあったと解釈すると、時間が経って精神が成熟してきたことを指しているのだろう。
靴を新しくすることも、時間の経過をより濃く示している。
わざわざ迂遠な表現で時間経過を示すことはよく使われる手法だが、一貫して「歩む」ことを歌っているためこの「靴」の表現がここで用いられているというわけだ。
ゲームにハマるのは子どもだという、2014年当時の考えも一つ入っているのかもしれない。
これは子どもっぽい趣味だから大人はやらないという否定的な意見ではなく、子どものように本気で楽しめる、遊べるトリプルバトルを意識した歌詞であることは明白だろう。
3番 トリプルバトルの未来
伝えたかった事が きっとあったんだろうな
恐らくありきたりなんだろうけど こんなにも
2番が終わるとそのままシームレスにCメロに突入する。これはどうしてもサビの直後に歌う必要があるのだろう。
トリプルバトルに、ニンテンドーに、今まで出会ってきた全ての対戦相手に、まだ伝えたかったことがあるのだ。
「きっと」というのは、プレイ当時にはそんなこと露程も思っておらず、ただ楽しんでいた純粋な心を示す。なくなった今になって、あの頃伝えきれなかった想いがあったのだろうと思い返している。
今となってはどんなことを伝えたかったのかも定かではなく、ありきたりな言葉、或いは構築なのだろうけど、やりきれない思いを抱えて過ごしている。敢えて先を歌いきらないことで、まだ煮え切らない気持ちでオフ会に縋る我々をこんなにも鮮やかに、しかし直球表現で示してくれているのだ。
お別れした事は 出会った事と繋がっている
あの透明な彗星は 透明だから無くならない
ラストBメロ。
ここはよりストレートに、トリプルバトルとお別れしたことで他のポケモン作品や外伝作品、オフ会による出会い、様々なことに視野が向いたことを表しているのだろう。
別れはただ悲しいことだけじゃなく、新しい出会いもくれる。これまでひたすらに後ろ向きだった歌詞から、諦めを経て前を向き始めているのだ。
また出てきた「透明な彗星」は、ここで一つの姿を変えることになる。
「透明だから無くならない」とはどういったことだろうか。見えるんだけど見えないもの、みたいなことだろうか。
これまでの歌詞を振り返る事で、謎解きの大謎のごとくその透明な彗星の正体に少し近づくことが出来るだろう。
トリプルバトルのオンライン環境は今でこそなくなってしまった。これまで歌われてきた通りである。もう一つ、一貫して歌われ続けていたことがあるだろう。
それが思い出、或いは過去である。
トリプルバトルは思い出になって、消えずに残り続けているのだと、TNモトオは力強く、FULLPOWERで歌を歌う。
◯×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間も無い程 生きるのは最高だ
〇✕△、これは紛うことなく三種並べるトリプルバトルであることは疑う余地もない。
また、シングルダブルトリプル(ローテ……?)どれを選ぶかだったり、攻撃対象をどれにするかだったり、御三家を示していたり、とにかくここにはたくさんの意味が込められているだろう。
今トリプルを選んで遊んでいる我々、当時から流行っているとはとても言えなかったそれを好んでいることと、他のみんなと比べてあっちはどうだ、こっちはこうだ、そんなことを確かめる間も無いほどに「生きるのは最高だ」なのだ。
「生きるのってサイコー!」のような文脈ではないことは、これまでの歌詞から推察できる通りだと思う。
今のトリプル界隈は「終わらない暗闇」であり、正常か異常かすらも判別する暇が無いほどに大変な状況にあり、それでも今を生きなければならない。
何が優れているのか、今何を選ぶべきか、そんなことを確かめる間もないけれど、「生きる」、ないしはトリプルバトルの無い世界を過ごさなければならない。
こんな苦しい、ダムの底のような閉塞感さえも、最高と評さなければやっていけないだろう?それがこの歌詞の真意だ。
このrayでは終始後ろ向きになりながらも、それでもこのポケモン界隈にしがみつかざるを得ない苦悩がありありと描かれているのだ。
TNモトオの才には敬意を評さざるを得ない。
あまり泣かなくなっても ごまかして笑っていくよ
大丈夫だ あの痛みは 忘れたって消えやしない
大丈夫だ この光の始まりには 君がいる
最後はBUMPには少し珍しいリフレイン調でこの曲は終わる。
最後の最後に少し希望が見えるような歌詞を添えて終わるわけだが、それを「大丈夫だ」と繰り返すのがある意味での優しさ、前を向く勇気の表現なのだろうか。
これから先何があったとしても大丈夫だ。この光――ニンテンドーネットワークサービス終了というお触れの始まりには君、オンラインサービスで戦えたトリプルバトルがあるのだから。
この思い出を糧に、また歩き出せる。そうしてrayの歌詞は終わる。
ここまで敢えて触れてこなかったが、rayの歌詞はひたすらに後ろ向きなのに対し、曲調は開幕から常にノリノリでアゲアゲ、明るく楽し気な雰囲気が続く。
音使いもぽわっとした光の珠のような調子で、歌詞の内容とのギャップが大きく違和感すら覚えてしまうほどだ。
最後には前を向こう、そういう思いもあるのかもしれない。
今まだ塞ぎ込んでいるトリプル勢に光を示しているのかもしれない。
おわりに
以上が、BUMP OF CHIKEN「ray」が如何にしてトリプルバトルについて歌ったかの考察である。
12年経った今、あの時レーティングバトルに勤しんでいた我々が考えもつかなかったことをこの時点から歌い上げていたとは脱帽と言わざるを得ない。
いつまでもなくならないものはない。
遊んでいた公園だって、ハマっていたゲームだって、いずれは陳腐化するものだろう。
今この時遊べていることを噛みしめることを忘れずに、ポケモンという遊び場を楽しみたい。
※繰り返しますが、この記事でBUMP OF CHIKEN及び藤原基央さん、楽曲「ray」を貶める意図は一切ありません。
素晴らしい歌詞と曲が現状のトリプル界隈と奇跡的にマッチしたことのこじつけであることを留意ください。

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