はじめに
物心ついたとき、そこにポケモンがいた。
まだ火曜にアニメをやっていた時代。
ちょうど夕飯時に重なるのでそれほど見ることはできなかった。
途中からでもとテレビをつけて、ロケット団がやられるのを見て、EDが流れてくる。
曲名は「ひゃくごじゅういち」。
オーキド博士の歌声と、ポケモン川柳でアニメは終わる。
あの頃、オーキド博士もまた、当然のようにそこにいた。
それから20年が経ったいまも僕はポケモンが好きで、部屋の中で、画面の中で、ポケモンたちは変わらず僕と共に在る。
でも、オーキド博士は、変わってしまった。
日本のアニメを支えた偉大な声優、石塚運昇さんの訃報が報じられたとき、僕らはそれぞれ最も思い出深い石塚さんの演じられたキャラクターを想起しただろう。
もちろん、僕にとって、それはオーキド博士だった。
日本にはまだまだたくさんの素晴らしい声優さんがいて、オーキド博士は再び僕らの前に現れるだろう。
それでも、石塚さんの演じるオーキド博士を忘れることはできないだろう。
それはあまりにも早く、悲しい出来事だ。
だが、この悲しみのやり場は、未来にしかない。
僕たち、オーキド博士に図鑑を託された者たちは、オーキド博士の遺したものを受け継がなくてはならない。
だから、僕は何年振りかに「ひゃくごじゅういち」を聴いた。
「ひゃくごじゅういち」歌詞(TVバージョン)
なかまのかずは そりゃ
やっぱり ぜったい がっちり
おおいほうがイイ!ぐたいてきには そりゃ
はっきり きっかり たっぷり
ひゃくごじゅうイチ!すこしゆうきが ありゃ
ばっちり しっかり にっこり
なかまをゲーット!だけどもたまにゃ ありゃ?
うっかり すっかり がっくり
なかま逃ゲーット!キミたちとの であいはぜんぶ
ちゃんと おぼえてる
きずつけあった こともあったけど
それは(え~と)わすれたまだまだ たくさ~ん
かならず どこか~に
なかまは いるはずひゃくごじゅういちの ヨロコビ
ひゃくごじゅういちの ユメ
ひゃくごじゅういちの オモイデ
めざして~ がんばろッ!
ひゃくごじゅういちから見えてくるもの
この時のために――とは決して言いたくないが、この曲は未来に向けた歌だ。
もう少し作品世界に没入して言えば、オーキド博士というポケモン界の権威が僕らに向けた応援歌である。
そして、おそらくは博士自身にも向いているだろう。
オーキド博士は、少なくとも152匹目のポケモンとの遭遇を経験しているのだから。
時が流れ、151匹のポケモンを捕まえるのは通過点でしかなくなった。
151匹以上のポケモンを手にした僕らには、むしろこの問いかけが必要だと思う。
「仲間の数はどうだろうか?」
と。
SNSが普及し、ポケモンが好きな層の広さ、深さはどんどん可視化されてきた。
3DSのフレンドコードは100人分しかなくても、ポケモンという絆でたくさんの人と繋がれる時代だ。
仲間の数を増やすにはこれ以上ない環境と言っていい。
その上で問おう。
君たちは、仲間を仲間と思えているか?
仲間の数は
SNSを眺めていれば、週に一度は何かしらの揉め事か暴言を見る。
あまり言いたくはないが、ポケモン対戦をやり込んでいる層ほど、その傾向が強い。
対戦相手を罵倒するのをどれほど見たかなど、いちいち記憶していられないほどだ。
僕はその根底に、「誰かへの不理解」を見ている。
少し前に、こんな記事を書いた。
僕はこの記事を「誰かのことを認めてもらうため」のものにしたかった。
ポケモンというコンテンツの規模はあまりに巨大で、自分と同じ思考を持っているやつばかりがいるわけがない。
そこで異質なものを攻撃するほうに向かうのは、いじめの原理だ。
だから、様々な類型を見せることで「こういう人もいるのか」と思ってもらう機会を作りたかった。
自分と異なる存在を理解しようとする姿勢と、それが自身にとって快いものでなかったとしても「そういうものなのだ」と許容する心。
この二つを持つきっかけを目指していたのだ。
だからと言って「誰とでも仲良くしましょう」などとアホくさい話をするつもりはない。
反りが合おうが合わなかろうが、どっちもポケモンが好きなのだ。
そこは尊重するべきなのに、存在の全てを否定するのは愚かだ、という話である。
そして、覚悟のいる発言だが、記しておく。
ポケモン対戦が終わるとすれば、この不理解によってゆるやかに終わっていくだろう。
渦中にいると気づかないかもしれないが、今のポケモン対戦というコンテンツは、ポケモン好きにとって決してよい印象ではない。
それはおそらく、見えない不理解の壁によるものである。
元より、ポケモンというコンテンツの中で、ほんの極小のパイしか占めていない勢力だ。
にもかかわらずその中で固まり、狭い世界でいがみ合う現状を敬遠されるのも当然だろう。
少し視線を上げてみれば、世界には多くの「ポケモンが好きな仲間」がいる。
ポケモントレーナーなら、仲間の数は多いほうがいい。
ならば何をすべきかは、オーキド博士が教えてくれている。
おわりに――ひゃくごじゅういちの先へ
最近はアニメを観られていないので、最後に石塚さんの声を聞いたのは劇場版を観に行った時だった。
「みんなの物語」と題された作品のテーマは(ネタバレなので白で記す。下の空白を選択すれば読めます)
「ポケモンと一緒なら、できないことができる」
だった。
20年を経て、これは現実のものとなりつつある。
ポケモンが好きで、音楽活動を続け、自身の楽曲を主題歌に抜擢された者。
好きだったポケモンを作る側に回った者。
かつてオーキド博士に図鑑を貰った彼らが想像だにしなかったであろう未来が、これからも生まれていくだろう。
ひゃくごじゅういちのヨロコビは、ユメは、オモイデは、僕らがどこまでも膨らませていくものだ。
博士はずっとそれを見守ってくれるだろう。
石塚さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、劇場で石塚さんの謳いあげた言葉を以てこの文の結びとしたい。
――ポケモンの数だけの出会いがあり、ポケモンの数だけの冒険がある――
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